重度障害者の感情・態度表出を支援する技術に関する研究

文献情報

文献番号
199800293A
報告書区分
総括
研究課題名
重度障害者の感情・態度表出を支援する技術に関する研究
課題番号
-
研究年度
平成10(1998)年度
研究代表者(所属機関)
中邑 賢龍(香川大学)
研究分担者(所属機関)
  • 利島保(広島大学)
研究区分
厚生科学研究費補助金 総合的プロジェクト研究分野 障害保健福祉総合研究事業
研究開始年度
平成10(1998)年度
研究終了予定年度
-
研究費
3,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
障害を持つ人々の多くが,ADL(日常生活動作)面で自立した生活を望んでいる。しかし,現在の医学的,工学的,教育的技術をもってしても,その障害を完全に消し去ることは困難であり,特に,重度障害については他者の介助に依存せざるをえない。近年,ADL面で身体的自立が困難であっても,他者に自分の意思を伝え,生活することで,精神的自立をはかり,それによって生活の質を高められるとする考えが強まりつつある。そのため,他者とコミュニケーションをはかれることがリハビリテーションや特殊教育の最優先課題と考えられるようになってきた。この自立観の変遷に伴い,コンピュータを介してメッセージを構成し音声化して相手に意思を伝えるコミュニケーションエイド(意思伝達装置)に対するニーズが高まりつつある。その一方で,コミュニケーションエイドを利用しながらそれが機能しない事態が存在する。その1つにコミュニケーションエイドが非言語情報の伝達手段を持たないために生じているコミュニケーションの混乱がある。コミュニケーションにおける非言語情報の役割は言語情報以上に大きな役割を果たすと考えられているが,市販のコミュニケーションエイドのなかに非言語情報の伝達を補助する手段を持つものはない。そのため,重度運動障害を持つ人々がコミュニケーションエイドを用いる場合,非言語情報の伝達が困難なためにコミュニケーションに混乱が生じる場合がある。例えば,ALS等の運動神経麻痺や筋疾患のために感情表出が全く困難な人々にとって,その感情,気持ちを,態度等を言語情報のみで相手に伝達することは容易でない。無表情に「幸せ」とタイプしても,その気持ちが相手に伝わるとは限らない。また,不随意運動のある,あるいは,筋緊張に動揺のある脳性麻痺等の患者の場合,その運動が妨害となり,言語情報と非言語情報に矛盾が生じることがある。例えば,苦しそうに手を振りながら,「楽しいですね」とタイプすることで,相手を混乱させることもありうる。コミュニケーションへのストレスを低減し,誰もが誤解の無いコミュニケーションを可能にするエイドが必要であると考えられる。そこで,本研究では,非言語情報を伝達するためのいくつかのアイデア,中でも,感情説明と障害説明がコミュニケーションエイド利用時の混乱を低減する上でどのような効果を持つのかについて検討を行った。
研究方法
本研究は,以下のように4つの研究に分けて実施された。研究1では,対人認知や印象形成に関する研究を中心に,コミュニケーションエイドへの非言語情報伝達手段の追加について文献的検討を実施し,そこから導きだされたアイデアが,工学的どのような形で実現でき,コミュニケーションエイドに組み込めるかを検討した。研究2では,感情をアイコンや音声で説明すること,あるいは,感情が表出困難であるという事実を説明することが,コミュニケーションの混乱を回避する上で,どのように有効であるかを,大学生を被験者にして,実験的に検討した。研究3では,感情表出が困難な重度脳性麻痺患者やALS患者の利用を想定し,感情説明機能及び障害説明機能を組み込んだコミュニケーションエイドを試作した。本研究はコミュニケーションエイド自体の開発が目的ではないため,Mayer-Johnson社のSpeakingDynamicallyというソフトウェアのオーサリング機能を利用し,2つの機能を追加する形でそれを行った。研究4では,研究3で開発した感情説明及び障害説明機能を組み込んだコミュニケーションエイドを実際に感情表出に困難を抱える重度脳性麻痺患者とALS患者に試用してもらい,彼らの非言語情報伝達の代替手段となりうるかについて,調査面接法で評価を行った。
結果と考察
研究1では,過去の心理学的研究がレビューされ,一部の障害を
持つ人々のコミュニケーションにおいて生じる混乱について,音声合成,画像合成,動画技術等,工学的手法により,解決しうる可能性が示された。研究2では、脳性マヒ患者を会話相手とした場合、感情アイコンが被験者の注意を患者の表情に集め、障害説明の文章が被験者の注意を患者のタイプした文字に集めることが明らかになった。また、ALS患者を相手とした場合も、感情アイコンを呈示する方が,被験者の注意を患者の表情に集め,患者の感情を正確に伝達できることが明らかになった。研究3では,感情表出が困難な重度脳性麻痺患者やALS患者の利用を想定し,感情説明機能及び障害説明機能を組み込んだコミュニケーションエイドを試作した。研究4では,すべてのコミュニケーションエイドユーザーに必要と感じるわけではないが,症状によっては,感情説明及び障害説明機能に対するニーズがあることが示された。特に,(1) 感情アイコンをよりリアルなものに近づける必要性,(2) より細かな感情表出に対応させる必要性,(3) 感情の表示時間とそのタイミング検討の必要性が指摘された。
結論
障害を持つ人々のコミュニケーションの場が大きく広がりつつある。インターネットの普及は,高齢者さえも巻き込み,対面でないバーチャルな空間でのコミュニケーションを生みつつある。インターネット上でのコミュニケーションに一部の障害を持つ人や高齢者が積極的に利用し,生きがいを作り出している背景には,対面コミュニケーションとは異なり,障害や高齢からくる外見の変化を気にすることなく,一人の人間としてコミュニケーション出来る点にあると考えられている。対面コミュニケーションでは,障害や高齢を隠すことが困難であり,その外見から能力を不当に低く評価される,あるいは,感情,態度,好み,性格について誤解を招く場合もある。例えば,顔面に緊張があり,不随意運動があるために,暗い性格であると誤解されることも多いという声を聞く。また,顔面麻痺の進んだALS患者に接した人が,病前の生き生きとした患者の姿を想像することは難しい。この点について,本研究は,コミュニケーションエイドへ感情説明と障害説明が,受信者の混乱を低減する上で効果的であることを明らかにし,対面コミュニケーションにおいても非言語情報を付加することによりコミュニケーションの混乱が回避出来る可能性を示した。しかし,障害を持つ人たちからは,顔を簡略化したアイコンによる感情表現では本当の気持ちを伝えるには不十分であるという声が寄せられた。これについては,さらにその方法を吟味する必要がある。この批判に答える1つの方法として,コンピュータを使ったモーフィング等の画像処理や動画技術の利用が考えられる。これらの技術を用いることで,障害を持つ人の写真をベースに,障害を補正したその人の顔に感情を付加することが出来ると考えられる。さらに,音声に関しても声を失った人の音声を骨格から再生する技術も開発されており,同様に障害を補正することが可能である。もし,これらが一つの自己表現の手段として認められるならば,障害を持つ人々がコンピュータ上で障害を持たない自分を作り出し,よりダイナミックに自己表現することも出来ると考えられる。障害を理由に否定的に評価されている人たちの性格や能力等を正当に相手に認知させる上でも有効であるかもしれない。これらの技術は,障害を持つ人々の態度,感情,個性を他者に伝える上で効果を発揮すると考えられるが,その導入は様々な議論を生み出す可能性がある。例えば,ある人にとっては補正された姿が本当の自分だと考えられるかもしれないし,また,別の人にとっては,それは本当の自分ではないと感じられるかもしれない。予想される一番大きな問題は,障害を補正するそれらの技術が,障害を否定することにつながるのではないかという倫理的問題である。このようなコンピュータ上で障害を補正することに関して派生する問題点を今後,心理学的に検討することが必要であろう。今後,新しい技術の出現は,障害を持つ人々にさらなる自己表現の手段を生み出していくと考えられる。そこで創出されるダイナミックなコミュニケーションは,彼らの社会参
加を助け,生活の質の向上に貢献するに違いない。

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